「65」
この数字は一体何だと思いますか。
カーネル・サンダースが、ケンタッキー・フライド・チキンを創業した年齢です。
人生大逆転を果たした彼について、今回は書かせて頂こうと思います。
父のいない家庭で育ったサンダースは、家を助けるため10才から働きに出て、40種類もの仕事を経験しました。
その中サンダースは、30代後半に初めての起業をします。それは、ガソリンスタンドでした。経営は苦しかったものの、「他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」というサンダースの信念は揺らがなかったといいます。
そしてその後、ガソリンスタンドの一角を改装して、たった6席の小さなレストラン「サンダース・カフェ」を開きます。サンダースはガソリンスタンドの支配人、調理係、レジ係の全てを担当していたそうです。
「サンダース・カフェ」だけでも、と140以上の席数の規模に拡大しましたが、火災で焼失してしまいました。
同規模で再建を果たすなど、カーネルは何度も復帰を試みます。その頃に完成したのが、現在も多くの人に愛される秘伝のオリジナル・レシピの“11スパイス”でした。
しかし、負債を多く抱えていたカーネルは、店舗経営から一度身を引くこととなります。その時カーネルはすでに65歳でした。
しかし、不屈のカーネルは“フライドチキンのレシピを教えるかわりに、売れたチキン1つにつき5セント受けとる”というフランチャイズビジネスをここから始めたのです。
70歳近いカーネルは、車1台で全米中を走り回り、レストランの厨房などでフライドチキンのノウハウを実演してFC契約取る旅に出ます。
やはり、70歳近いおじいさんの飛び込み営業はそう上手くいくはずもなく、断られた数はなんと1009回にものぼったそうです。
しかし、なけなしの年金でガソリンを買い、出費を抑えるために車の後部座席で夜を過ごし、翌朝再び営業にいく。そんな、若者でも途中で匙を投げてしまいそうな方法で営業を続けました。その甲斐もあって、見事大成功を収め、73歳の時には600店舗を超える規模まで拡大します。
決して順風満帆とは言えないサンダースの人生ですが、彼の生き方には学ぶべきことが十分にあります。
「自分に特別な才能があったとは思えない」と、かつては職を転々としていたサンダース。しかし、それぞれで一生懸命働いていたことが成功の要因だと語っていたそうです。
そんなサンダースはこのような言葉を残しています。
私はただ2つのルールを守ってきただけだ。「できることはすべてやれ」「やるなら最善を尽くせ」。これが何かを達成するための唯一の方法なのではないだろうか。
いくつになったって、自分の人生をより価値あるものにするための努力をするべきだ。何の問題も起こらない人生が、素晴らしい人生なわけがないのだから。
人生の中で、大きな壁に直面しそれを乗り越えなければならない局面が少なからずあるかと思います。その時はこの言葉を思いだしてみるといいかもしれませんね。
スタッフA.A